【藤木BLOG】AI時代になっても「成長、成長」といってるうちはシンドさは変わらない
自分は会社員時代営業だったのですが、何とか無理して目標を達成すると、「次はその120%な」と次の目標を設定されました。数十年経ってもそれは変わりないようです。運に恵まれて目標を達成したとしても、また上積みされるようですね。「奇跡的に目標達成できたのに来期はまた高くなるのか!」そうすると、はじめから目標達成することを放棄して適当に時間をつぶす、という働き方もあるようです。それがいいとはとてもいえませんけど無理もない。その裏には、「成長、成長」というかけ声があります。「成長」とは会社の売上を毎年大きくしていくことなんですよね。それで誰が幸せになるのかは全然わからぬまま(あんまり還元されませんよね)。一部の人たちが大きな収益を得られるわけです。しかも高度成長時代ではなく、市場が縮小しているのは間違いない現実です。
いま、AIが仕事を助けてくれるようになり、働かなくても大丈夫になるというファンタジーがあります。AIは確かに仕事を楽にしてくれると思いますが、前記の「誰のためだかわからない成長戦略」をもとに社会が動いている限りはそうはならないと思います。
2017年、「マンガでわかる人工知能 」(原作 : 藤木俊明 / マンガ : 山田みらい)という書籍のために識者にインタビューしたのですが、三宅陽一郎さんの「ゲームの背景作画をAIに作らせるようになったらとても楽になった。ところが、これまでゲームを年間1本リリースできればよかったのに、年間3本、4本リリースしろと言われるようになった」という話が耳に残りました。
お金を最大の価値におき、売上を毎年増やしていくことが成長戦略だというものさしであれば、AIで便利になっても、人間の「シンドさ」は何も変わらないでしょう。
それを一番よくわかっているのが、今の20~30代の若い人たちで、「このままでは絶対うまくいかない」という静かな反乱のひとつが「仮想通貨」であり、「感謝経済」であるような、価値の変換じゃないかと思います。
もしAIを活用するなら、「事務仕事がパソコンで便利になった」→「効率アップで売上もアップ」みたいなスキームではなくて、「仕事がAIで便利になった」→「空いた時間で自分自身が成長する」みたいな、人間の内面の充実や家庭生活の充実といった「人間自体の幸福」に寄与させるような仕組みに変えていくことが必要なのではないでしょうか?